今日は現代曲のプログラム。ミライユ(先週のオンド・マルトノ奏者)の「シヤージュ」は「京都」をテーマに委嘱された曲。1985年に小澤征爾=京響で初演されているらしい。京都の石庭について宇宙論的な解釈も持ち込んで作曲したものだという。弦楽器の極度に高く、そして抑えた音に始まり、様々な表現が加わっていく。私の感想としては京都(とは限らないが・・・)の風情に街の騒がしさを織り込んだ曲といったところ。打楽器陣が曲に鮮やかな色を付けていた(砂糖をまぶしたあめ玉的感覚)。
メシアンの曲ははっきり言って良く分からなかった(ミライユのもそうだが)。▲を付けているのは内容がつかめなかったから。決して良くなかったからではない(木管陣にはちょっと不満はあったけど)。情景的に思い浮かべることが出来たのは、第2楽章(奈良公園と石灯篭)、第4楽章(雅楽)、第5楽章(宮島と海中の鳥居)。「雅楽」に関してはお寺の鐘らしい音が何度も聴こえたが、メシアンは神社、仏閣を混同していたのだろうか? 先週に引き続きピアノのエマール氏は熱い演奏を聴かせてくれた。特に第3楽章は見事なカデンツァだった。奏者の配置もユニークで、木管が前で後ろに打楽器。金管はトランペットとトロンボーンが1本づつ打楽器の間。ヴァイオリンはちょっと距離を空け右端。左側にはピアノという配置。ミライユの曲とは異なり、打楽器の演奏を管や弦が包んでいる感じだった。
こう聴いてくると、ストラヴィンスキーがすでに古典になっているのが良く分かる。しかし「春の祭典」は名演となった。これほど熱く、グロテスクに鳴らしきった演奏はそうそう聴けない。井上氏の指揮もテンポよく、大胆なアクセントを付けており、この曲の初演時の大混乱を容易に想像させてくれる表情だった。特に第1部の「大地の踊り」の後の余韻には身の毛がよだった。演奏の特徴としては金管群の大活躍に、ティンパニの堅く、鋭く、衝撃的な大音響が炸裂。木管の不安定な音をきちんとほかのパートがカバーしていたのが良かったのかも。強いて注文を付けるとすれば、銅鑼はもっと出て欲しかった。頑張った、京響!
【余談】 開演前30分にミライユさんによるプレ・トークがあった。主に「シヤージュ」の楽曲解説だった。終演後、楽屋口で井上さんを待っていたら、ワインの瓶を片手に出てきた。もうできあがっていたのか? もしや演奏前に飲んでいたのでは。
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